1995年9月14日。
自分の人生でも、大きな転機となった日。 あれからもうすぐ10年が経とうとしています。。。 1995年8月下旬。 たまたま大阪の友人のところへ遊びに行っていたおり、 石川県代表の星稜高校が夏の甲子園大会で、決勝戦まで進出していたので、 金沢へ帰るのを1日遅らせて、甲子園で決勝戦を観戦。 (結果は東京代表・帝京高校に0-2で敗戦でした。) 翌日、金沢へ戻った自分は、左耳の中でゴリゴリという音を感じていました。 ちょうど、耳に水が入った時のような音が、ずっと続くのに不安を覚え、 職場で内科のドクターに相談してみたのです。 (甲子園で観戦したとき、場内放送のスピーカーが近くにあり、 やたらうるさかったせいでは?と思ってました) 後で考えると、これも幸運だったのですが、相談した正にその時間帯に、 MRI検査でキャンセルがあり、すぐにMRI検査を受けることができたのです。 そこに映っていたものは、左耳の神経に出来た脳腫瘍。 それまで、脳腫瘍が出来ていた場所にするどく刺すような頭痛を感じたことはありましたが、 何の違和感もなく過ごしてきたんですよね・・・。 (頭痛も後で考えると、その場所だった!という程度で。) 正直なところ、その時はショックを受けることもなく、 反対に耳の音の原因が判って良かった!と思ったものです。 金沢大学附属病院で手術することになり、10年前の9月14日が手術日でした。 そう、私の左耳が聴こえなくなってから10年。 顔面の左半分に麻痺が出来てから10年。 さすがに手術前夜は、マイナス思考にも陥りましたけど、 左耳を取るか、命を取るか、と言われて迷う人間なんていませんよね。 (寝る前に最後に聴いた、My Little Loverの『Hello,again』。 これを聴くとあの頃を思い出して不思議な感覚になりますけど。) 手術当日はもうすっかりいつもの自分でした。 14日は朝9時前に手術室に入り、 (真っ裸で手術台に乗るときは恥ずかしかった!) 笑気ガスを吸った自分は、ただ眠るだけでしたが、待っている両親と妹は大変だったでしょう。 なんたって、手術が終わったのは、日付が替わった15日の午前3時だったそうですから。 テレビドラマなら、あっと言う間に"手術中"のランプが消えますけどね^^; 妹が看護師で、両親の話相手だったことは助かりました。 自分はというと、意識がはっきりしてきたのが、15日の夜になってからなんですが、 かなり幻覚を見ていて、暴れたようです。 ずっと手足が縛られてましたから・・・。 手術後は、顔面神経の麻痺がひどい状態でしたし、 立つ・歩くためのリハビリでさえ、きつかった・・・ でもでも、今こうして社会復帰してますし、もっともっと大変な患者さんも見てきましたから、 悲観することなんてないんですよ。 ところで、自分の脳腫瘍は静脈が集まっているところに出来ていたため、 全部は取り除けなかったそうです。 主治医の先生からは、静脈から栄養をもらって、また大きくなるかもしれない!とも 言われたのですが、「10年」経過して替わりなければ大丈夫なんじゃないかとも。 今まで1年毎にMRI検査をしてきて、大きくはなっていません。 5年を迎えるころより、ほとんど頭痛も軽くなり、 病気のことは忘れるようになっています。 ま、過去を振りかえっても、病気自体がなくなる訳でもないんだし、 大きくなったらその時はその時です。 10年前とは、医療も進歩していますから、そのへんの不安はありませんしね^^ ただ、10年を迎える、、、というこの心境、うまく説明できませんけど 判って頂けますか? ちなみに、私がNFLの魅力に取り付かれたのは、 泣きながらリハビリをしていたときに見た、第30回スーパーボウル Pittsburgh vs Dallas に感動したからなんですよ~^^
by ken12_pennsyl
| 2005-09-10 16:42
| 健康
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