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出場辞退に思うこと。

高知県代表の明徳義塾高校が、抽選後に夏の大会への出場を辞退した。

このニュースに複雑な思いが飛来する。
自分は、これまで明徳義塾高校に対して嫌悪感を持っていた。
石川県民には、依然として「にっくき思い」が強い高校ではあるが、
自分としては、過去のこととして思えるようになっていたのだが、、、

1992年8月。
夏の全国高校野球大会で、事件は起こった。
前年の1991年にも出場し、ベスト4に進出していた石川代表・星稜高校は、
この年、3年生となった松井秀喜を擁し、全国制覇への期待が高まっていた。
石川県のみならず、全国から注目される存在となっていた松井は、
1回戦でもその本領を発揮していた。
そして、
長く語り継がれている2回戦、vs明徳義塾戦を迎えるのである。

松井は「5打席連続敬遠」され、一度もバットを振ることなく、敗退してしまった。

自分はこの試合を甲子園で観戦していたのだが、
最初の打席の敬遠から、もう球場内は異様な雰囲気に包まれていた。
松井の打席を迎える度に、すごい罵声・怒号が飛び交い、、、
試合後の明徳の校歌は、『帰れ』コールにかき消されて、選手にも届かなかったことだろう。
あちこちから、ジュースの缶がグラウンドに投げ込まれていたこの試合の記憶は、
今でも鮮明に残っている。。。

この夏は、社会問題にまでなった試合であったが、
明徳義塾の選手たちは、その後とても野球に専念できる状態にはなくなっていた。
自分は明徳の次の試合(3回戦)も観戦したのだが、
その試合でも、明徳に対する罵声はひどく、選手たちは萎縮して見えた。
対戦相手ではなく、社会全体を敵に回したような雰囲気の中、彼らはあっけなく敗戦してしまった。
当時は、自分もこの敗戦に大きな拍手を送ったものだ。


その後も、明徳義塾高校は、何度も高知県代表として出場してきた。
その度に、多くの石川県民と同じく、明徳に対して『負けろ!』念力を送ったものだが・・・^^;

1998年夏の準決勝。
明徳は松坂擁する横浜高校に対し、8回表を終了した時点で6-0とリードしていたが、
8回裏に4点、9回裏に3点を奪われ6-7でサヨナラ負けを喫した。
この辺りから、自分の中では、そろそろ許してあげても良いのでは・・・という思いが混じるようになってきた。
若い選手たちには関係のないことだし、相手の監督として冷静に考えれば、松井に打たれては勝てないし。
松井以外の選手がもっと打っていれば、あの試合も勝てただろうし。
そして、2002年夏。
明徳義塾は、ついに全国制覇を成し遂げた。
その際、松井秀喜が明徳の馬渕監督に、お祝いのコメントを出していたが、
それを聞いて自分の中でも、わだかまりは無くなっていたのにな・・・。

今回の事件を耳にして、またいろいろな感情が渦巻くことになるのだろうか。。。
ショックを受けている選手たちが、うまく立ち直ってくれると良いのだが。
by ken12_pennsyl | 2005-08-05 14:07 | 遠き日のこと。


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